地域の一員として生きる力を

社会福祉法人一麦会『麦の郷』(和歌山県)

6.「麦の郷」の地域ネットワーク

市民同士のしなやかなネットワークのなかで、地域にアンテナを立て、どんな相談にも応じる体制を作り上げてきた「麦の郷」---精神障がい者の社会復帰についても、早くから地域の人々の理解と協力を得ていました。いまや地域の人々が“地区の宝”と誇る「麦の郷」のメンバーと地域社会との関係を紹介します。

「麦の郷」の地域ネットワーク

「ドアは、叩けば開かれる」

伊藤静香さん(麦の郷障害者地域リハビリテーション研究所所長)

「地域の人は、その地域の精神障がい者を守っているのです」

田中秀樹さん(麦の郷理事長)

「麦の郷」は、1989年、精神障がい者の社会復帰施設建設を訴えようと「5万人対話運動」と名づけて全県下キャンペーンを実施。回復者、家族、医師、作業所関係者が宣伝カーに乗り、たすきを掛けて一般市民に精神障がい者の置かれた実情を訴えた。

伊藤:

和歌山県庁前から4時間くらい車を運転して、新聞社、保健所、精神病院に突然押しかけていく。それを1週間続けました。

田中:

「精神障がい者に道を拓く」と書いたのぼりをたくさん作ったんです。

伊藤:

「精神障がい者家族会」のたすきも作って、風船を飛ばしてね。知的障害者や身体障害者の家族も来てくれた。(今考えれば)楽しかったですよ。

しかし、精神障がい者のグループホームを設立しようとした際には、近隣から反対の声も上がった。

伊藤:

地元の自治会長に電話で呼び出されました。電話を持つ手が震えましたよ。だいたい反対されるだろうとわかってはいましたから。

田中:

それまでは知的障害、精神障害の区別もあまり理解されていなかったのです。ところが、その時は精神障害ということをみんな知っていました。

伊藤:

緊急に開かれた自治会に2人のメンバーと一緒に行って、当事者たちの生活状況などを説明しました。なぜ家がなくて退院できないか。住まいがないか。こういう時は地元の言葉で同じ目線で話をしないといけません。「帰る所ないんやから何とか考えてやってよ」「わかっちゃやってよ」と訴えました。メンバーにとっては針の筵(むしろ)。彼らが行儀よく座って「お願いします。お願いします」と言っていた姿は忘れられません。

メンバーが礼儀をつくして訴える姿は、反対していた地域住民の感情を解かした。実際にメンバーに会ったことで、精神障がい者に対する先入観も薄れたのだろう。ほどなく反対の声は下火になり、この一件を境に積極的な支援者になった人もいた。

田中:

地域の人達はよそ者が入ってくることには非常に敏感です。だけど、情報交換や交流をすると、「実はうちにも当事者がいる」という人もいる。地域にも実は精神障害のある人がたくさんいて、地域の人が精神障がい者を守っていることが見えて来るのです。社会復帰施設は精神障がい者の労働や生活を支持し、守っていく所なのだとわかれば、理解してもらえると思います。

伊藤:

もともと、反対するのは関心があるから。むしろ、“無関心”の方が困っています。皆さんに関心を持って欲しいと思います。

今、「麦の郷」と地区住民との交流は活発に行われている。地区の社会福祉協議会と共催で行う夏祭りやお花見には、地域の人々がたくさん集まって盛り上がる。また、個々のメンバーも地域の清掃や草取りなどの行事に参加しており、近隣の人々とも顔なじみ。買い物に行けば親切な声をかけてもらえるようになった。 精神障がい者も地域の一員として、地域で普通に暮せるように---その願いをかなえようと、無認可の共同作業所に始まった30年間を、伊藤さんはこう振り返る。

伊藤:

たくさんの人が手を結んで、応援してくれたのは、本当に宝物でした。これだけの活動をなぜできるかというと、私たちだけでやっているのではないからです。地域には知識や知恵、人脈やお金を持つ方がいっぱいいますが、物心両面の支援を頼んだことで、相手を不快にさせ断られた思いをしたことがない。“ドアは叩けば開かれる。絶対叩きに行かなければ”という自信をつけさせてもらいました。いまだに多くの人に支援してもらっていますから、よい実践をしてお返ししないことには立場がありません。