精神障がい者がいつでも気軽に立ち寄れる心の自由空間「ユックリン」

(秋田県秋田市)

登録すれば誰でも無料で利用できる心の自由空間「ユックリン」は、デイケアや作業所などと違い、決まったプログラムや作業はありません。ここでは自分のやりたいようにしていればよいのです。そんな全国的にも珍しい「たまり場」的空間をご紹介します。

1.通っている病院を超えて精神障がい者が気軽に集える「場」を作ろう

2008年6月、NPO法人秋田県心の健康福祉会(藤井明理事長)が、精神障がい者の社会復帰に向けた自立訓練の場として秋田市中心部商業ビルの一室に開設したのが、心の自由空間「ユックリン」である。

ひまわり畑の上に虹がかかり、雲間に風船が浮かぶ、この明るく楽しい扉を開けると、そこがユックリン。この施設の特徴は、障がいの有無や種類、程度に関係なく、登録すればだれでも無料で利用できる点だ。登録料もかからない。デイケアとは異なり、指導や訓練なども一切行っていないため、利用者は自分の好きなときに来て、好きなときに帰ることができる。飲食物の持ち込みも自由で、喫煙も可能なため、みんなとワイワイ話をしながら昼ごはんを食べて、一服して帰るという利用者も多い。

藤原慶吾さん(NPO法人秋田県心の健康福祉会 副理事長)

精神障がい者は、外に出るとしても病院やデイケアと自宅の往復だけになり、閉じこもってしまいがちです。でも、行く場所がなければ出かけられませんよね。自宅でもない、病院でもデイケアでもない、通院している病院やクリニックの垣根を越えて、誰もが好きなときに集って、利用者同士、あるいはボランティアの方たちと交流したり、相談したりできる場を作りたかったのです。
ユックリンには、やらなければならないプログラムはありません。視察に見えた方々から、「なぜプログラムがないのか」と聞かれることもありました。逆に私は、プログラムのない、やらなければいけないことのない、何にもない「場」を考えていたのです。

このように自由なユックリンだが、ここは対人関係を主とした地域生活訓練の場である。利用者には社会人としての振る舞いが求められ、ほかの利用者に迷惑をかけないというのが基本ルールだ。
設立から3年が経った現在では、ユックリンの利用によって症状の改善効果も認められ始め、秋田市をはじめ県内各地の医師や病院の紹介で来所する方も多いという。この新たな取り組みについては新聞やテレビなど、各種メディアでも注目されており、地域での認知度も次第に高まりつつある。
それではこのユニークな取り組みはどのようにして始まったのだろうか。

秋田版「ドロップイン」の開設に向けて

実は、ユックリン開設にあたっては参考にしたモデルがあった。それが、同法人の副理事長を務める稲村茂先生(メンタルクリニック秋田駅前院長)が2006年にカナダ・バンクーバーの地域医療現場を視察した際に目にした「ドロップイン(たまり場)」だ。

稲村茂先生(NPO法人秋田県心の健康福祉会 副理事長)

バンクーバーでは、患者を病院の中で守るのではなく、入院医療を最小限にして、グループホームなどを利用しながら地域でサポートしていく体制ができていました。そこで機能していたのが街のいたるところにあるドロップインです。ドロップインの目印にはさまざまありますが、たとえば「やかん」のイラストのあるドロップインは、秋田風にいえば、『お茶飲んでたんせ』(お茶を飲んでいってください)という意味で、このように気軽に立ち寄って支えあえる「たまり場」的空間が街のあちこちで利用されているのです。

2006年当時、秋田県は全国で唯一、精神分野における社会福祉法人の設置されていない県であり、国の施策が障害者自立支援法へと移行する中で、その中核を担うべき組織が不在という状況にあった。「バンクーバーと比べて半世紀は遅れている」と感じ衝撃を受けた稲村先生は、帰国後さっそく、県内の精神科医療関係者、行政、家族会や精神科ボランティア、商工会に働きかけを行った。そして2007年4月、NPO法人秋田県心の健康福祉会が設立され、秋田版「ドロップイン」の設立に向けて実行委員会が立ち上げられた。

「稲村:実行委員会の立ち上げは簡単にできたよね」「藤原:そうそう。あっという間でした」と当時を振り返る稲村先生と藤原さん。簡単そうに語るお二人だが、実はその陰には、それまで30年にわたって築きあげてきた草の根の連携があったのだ。それが毎年1回開催されている「秋田こころの臨床研究会」という勉強会である。10カ所ほどの病院が持ち回りで実行委員会を組織し、院長が委員長となって実施されるこの会には、当事者、家族会、医療関係者、行政関係者が参加し、泊まりがけで講演や分科会などが行われ、参加者は総勢100名を超えることもあるという。晩には、参加者がお酒を酌み交わしながらじっくりと語り合い、大部屋で雑魚寝する。秋田には、こんな濃密なお付き合いを、継続的に実施して培ってきた信頼関係が脈々と流れている。

「秋田は、一度やり始めれば息の長い活動ができる土地だと思います。これまで30年間にわたるお付き合いを通じて、みなさんが家族会、医療関係者、行政などの集まりに慣れていて、お互いに信頼感をもって草の根レベルでの連携ができていました」と語る稲村先生。そのため、医療法人の垣根を越えた取り組みとなるユックリンの開設時にも多くの医療機関や行政、地域の後押しが得られたという。

また、秋田では保健所を中心に10数年前から勉強会を開催するなど、積極的にボランティアの育成に取り組んできたという経緯がある。現在、ユックリンでは約15名のボランティアが登録し、毎日3名が運営をサポートしている。そのため開設から3年目のユックリンではあるが、ボランティアの中には10年以上の経験があるベテランも含まれており、さまざまな利用者の話を傾聴し見守る、という簡単そうで実は大変難しい高度な技術を身につけている方もおられる。また、未経験者には対応の仕方などを、実践の中で指導するほか、「障がい者の援助のしかた、されかた、求めかた」を基本テーマとする秋田こころの健康市民講座(全5回)も毎年開催しており、技術の向上と後進の育成に余念がない。