精神病患者が働く本格的なフレンチレストラン
『ほのぼの屋』(京都府東舞鶴)
2.自分たちもやればできる
ほのぼの屋での仕事は、給仕やレジ係など直接お客さんに関わるだけでなく、厨房での皿洗い、クリンネスといわれるテーブルクロスのアイロンがけなど様々である。
給仕係として頑張っているのは山本貴子さん。10日前にクリンネスから給仕係へと抜擢されたばかりのほやほやのウェイトレスさんだ。
山本貴子さん(ほのぼの屋メンバー)
レストランがオープンしてからときどき食事に来ていたのですが、働いているメンバーさんたちがとてもいきいきとしていたのが印象的でした。自分もこんな場所で働けたらなぁと思っていたところ、思いがけず主治医の先生から「ほのぼの屋」で働いてみないかっていわれたんです。今、こうしてほのぼの屋で働けていることがとても嬉しいです。
朝の9時から夕方の4時まで働いていますが、1日が終わると「今日も健常な人と同じように頑張れた」っていう充実感で満たされます。もちろん大変なこともあるけど、ここは活気があるし、他の作業所と違ってお給料も高いのでとてもやりがいがあります。それにここのウェイトレスの服装がとってもかっこよくて好きなんですよ。
いまはまだ給仕係に移ったばかりのため、お客さんにお水をサービスしたり、ナイフやフォークをセットする程度だが、早く仕事を覚えてお客さんに料理を出せるようになりたいと目を輝かせる山本さん。そんな今の自分を「家をつくるためにレンガを1つひとつ積み上げていく過程」と形容する。着実に一歩一歩仕事を覚えていこうとする山本さんの真面目な一面がうかがえる言葉だ。
一方、厨房での皿洗い、クリンネスの仕事を主に担当しているのが近久学さん。8年前に統合失調症を発症し、ほのぼの屋に来た2003年春まで入退院を繰り返していたという。
近久学さん(ほのぼの屋メンバー)
入退院を繰り返していたので、ここに来た当初は仕事がしんどくて、きつかったですね。でも昨年の8月にグループホームに入居してからは生活のリズムができて、すごく調子がよくなって、定休日以外はずっとほのぼの屋に来て働けるようになりました。気分がよいせいか、仕事が楽しく感じられるし、時間が経つのが早く感じます。もちろん仕事は大変ですから疲れることもあります。グループホームの友だちは「少しは休んだら」って言ってくれるけど、今はほのぼの屋に来るのがとても楽しいし、こうして働けるのが嬉しいんです。
メンバーたちの顔には、みなレストランの従業員としての自覚に溢れている。「この4年間のレストラン運営を通じて、メンバーたちは『自分たちもやればできる』と自信を深めたと思います」と材木氏は語る。「ワンランク上のものをワンランク下の値段で提供する」というコンセプトのもと、少しでもお客さんに愛される店作りをしようとするその努力が、何度も足を運んでくれるリピーターや遠方からわざわざ訪れるお客さんで常に賑う盛況ぶりにつながっている。
本当の意味でのノーマライゼーションがここにある
レストランのオープンから4年が経過したが,その運営は決して順風満帆だったわけではない。最も大きな転機となったのは,開店以来,厨房を切り盛りしてきたシェフが2005年3月をもって退任したことだった。シェフはレストランの要だけにその後任シェフ探しにスタッフらは奔走を余儀なくされた。そして相談に訪れたのが,現在のシェフの糸井和夫氏だった。糸井氏はかつて三重県にある志摩観光ホテルで副料理長を務め,その後,京都市内に自身のフランス料理店を営んでいた一流シェフだ。そんな糸井氏がほのぼの屋のシェフを引き受けた経緯をこう語る。
糸井和夫さん(ほのぼの屋料理長)
私には知的障害の姉がいて、これまでずっと福祉の世話になってきました。以前から自分も恩返しというか、何か福祉に貢献しなければという考えが漠然とありましたが、自分は料理人だし何ができるのかわからないというジレンマがあったんですね。精神障がい者がいきいきと働けるほのぼの屋のような施設はとても大切だし、こういう施設をなくしてはいけない。そんな苦境に立たされているほのぼの屋に知らん顔はできなかったんです。ちょうど自分の店も20年の節目を迎えていましたし、これも何かの縁だと考え、残りの人生をお世話になってきた福祉の世界に恩返ししようと決めて、家族ともどもこの舞鶴の地にやってきました。
新しい料理長として就任した糸井氏。いきいきと働くメンバーの姿をみてこう評する。「ここで働いているメンバーたちは本当に幸せだと思います。昔は精神障がい者の人がお客さんの目の前で働くなんて考えられないことだった。きちんと接客して、それに見合った賃金を得る。本当の意味でのノーマライゼーションがほのぼの屋にはあります」。身内に同じ障がいを抱える人として感じうる慈しみが糸井氏の眼差しに満ちていた。